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クリスマスはいかがおすごしでしたか!?

議員と料理研究家の "二足の草鞋" というところでこの1年が駆け足の様にすぎて参りましたが 今年も残りわずかとなりました。

いろいろな現場に伺う機会も多く、"人" の大切さを感じることの多い一年でした。
役職や年齢にかかわらず、そこにいらっしゃる方がどんな感性の持ち主、価値観の持ち主であるかで…すべてが変わってくる。
その人の感性の根底に「教育」がやはり関係していると思います。

「教育」というものを長期的にはしっかり見直さないといけないと思っています。
自分なりに教育というのは字で見ると『教』は教える、教わる、『育』は育てる、育つ、という言葉の意味がありますが、『教』には私は「知識を教わる」…学校などのプログラムの中で教えてもらう理解に気づくかどうかはわからないけれど短時間の中で自分の中に蓄積される知識の場を意味すると思います。

そしてもうひとつの「育」は「そだち」なんですけどこちらは言葉とかではなくて、日々の生活の中でお父さんとかお母さん、先輩や仲間と行動をふれている中でなんとなく自分の中に気づかない内に入っていてある時どこかでふと気づくものではないかと思うのです。

私自身についても、未だに「育ち(そだち)」はあります。
私は母にごはんを作ってもらうのは子供の頃より当たり前と思っていました。
"いただきます"、"ごちそうさま" は言っていたけれど特に母にありがとうは言わず当たり前にごはんを食べていました。
"いただきます" は、命を頂いているんだ・・・と誰も言葉では教えてくれないけれど毎日「いただきます」と言っていたし、どういう意味かわからず「ごちそうさま」も毎日言っていました。

そんな中、私が海外に行って帰ってくると、家には電気釜に白いごはんが時間にあわせて炊いてあって、けんちん汁が出来ていて、きんぴらごぼうときゅうりの胡麻和えが出来ていました。
母の姿はすでに帰っていないけれど、母が来た…という証拠が残っていたのです。
また来たんだ位にしか思っていなかった。
海外に3週間行っていて今日帰ってくるから久しぶりに和食が食べたいだろうと母は自分の家から1時間程かけて来てくれて、たいてい同じメニューながら海外に行くと帰国の日には毎回これをやってくれていた。

ところが2年前に母が病気なった後、(今はおかげ様で元気になりました。)先日フランスから帰国した際には家にはなにもなかった…。
私が海外から帰って来てごはんが出来てないとか、差し入れのものもないというは初めてでした。
あたりまえのことなんだけど、今まで海外から帰国してなにも無かったことはなかったのです。

母は「もう無理をしない」…と言っていました。
今まで気づいてなかったことでしたが、母は今まで無理をしていたんだな…とはじめて気づいたのです。
そして無理をしてでも娘には、食べさせたいという母の想いがあったんだということが伝え感じられました。
50代になってはじめて母の想いを感じ知ったのです。
それがわかるまでには、こんなにもすごく時間がかかったんです。
でも これが私の「育ち」だと思うんです。

何気なく過ごしている毎日の中で接している人の中で言葉で教えられるのではなく、自らの経験から感じたことである時悟る…これが育ちだと思うのです。

親に感謝しなさいと教えられたわけではありません。
ありがとうといいなさいと言葉で教えられたわけではありません。
家族を愛しなさいと教えられたわけではありません。

「教えてもらう知識」と自分が色々な人と接して経験してその人の生き方を見てはじめて気がつく「育ち」…。
10年かかることがあれば50年かかることもあればその瞬間に悟ることもある。
…これが人の育ちだと思います。

今、日本に足りないのは、この「育ち」ではないかと思うのです。
特に「感性の育ち」が大切だと思われます。
感性というのは相手が機械であってはならないと思います。
人と人が向いあってコミュニケーションを取っていてはじめて感性というのはいろんな形で豊かに広がると思うのです。

今の子供達は、足りないのはお母さんやお父さん、家族と接触する時間です。
統計によると、家族とごはんを食べるのを平均して年間300回だそうです。
300回ということは1日一回もないってことなのですよね。

例えば「挨拶」もそうです。
「ただいま」と子供が言ったときに「おかえり」と家族が言えるかどうか…。
必ず「おかえり」を期待して子供は言っているものだから、その声がないことはその気持ちは失望になってしまいます。
メモでもいいと思いますけれど、でも本当は家族に言ってもらいたいでしょう。
我が家の場合は、私が仕事をしている時はおばあちゃんが替わりをしてくれましたが、娘には「ママは世界でママしかいない」と言われました。
そのたった一人のお母さんに「おかえり」と言ってもらうことが、子供の育ちにつながると思うのです。

替わりの人やコンピューターと子供達が時間を潰すよりは、生身の家族と接し過ごす積み重ねで最終的には「育ち」つながる。
それが最近の家庭や家族には欠けている様です。
教育というと、とかく教育の現場ばかりを考えがちですが、この「育ち」の部分をどうやって私達がサポートしていくかを来年のテーマにしたいと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様、どうぞ素敵な新年をお迎え下さい。
   
2006.12.28
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